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2008年10月

再生

 今日は友達に誘われてフラワーアレンジメントの講習会に行って参りました。

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 作品です。思っていたよりもボリュームが出てビックリです。どんな風に挿しても、お花にはやはり「華」がありますね~。それなりに、「らしく」見え・・・?ます??coldsweats01。ユリも香りが良くて(好き嫌いがあるかもしれませんが)、周辺がかなりゴージャス・ムードになりました。

 お花たちは十分に吸水させた「オアシス」というスポンジ状のものに挿してあるので、しばらくは美しい姿を楽しませてくれます。今はつぼみのユリも、次第に開いていくことでしょう。でも、もとは根を張って生きていたもの。はさみで切ってしまった時点で、枯れていく方向に向かっています。今はまだまだ頑張っていて、オアシスからグングン水を吸い上げる力もありますが、やがて力尽きた時には・・・残念ですが、「ゴミ」として処分してしまうことになります(一部はドライフラワーとして楽しめそうですが)。

 一方、こちらは根ミツバです。お吸い物やおうどんに青味として少し入れる「ミツバ」とは仲間なので、味も香りも大差ありませんが、根ミツバはどちらかと言うと「菜っぱ」という風情です。 根をザクっと切り落とし、適当な大きさに切ったものを、薄味のだし汁でさっと煮た鶏肉にドサっと入れて、溶き卵でフンワリとじて仕上げた「根ミツバと鶏肉の卵とじ」。私の大好きなおかずで、よく作ります。そして切り落とした根っこはその都度捨てていましたが、あんまりしっかりした根っこなので、試しに水を張った容器に入れておいて見ると・・・

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 およそ2週間後の姿です。水に浸けて数日すると、切り口から緑の点々のような若くて小さな芽が出てきて、今では立派に復活しています。途中少しだけ収穫しましたが、薬味程度なら十分な量にまで再生しました。が、毎日水を換え、ヌメリが出て腐らないように容器や根を洗い、天気のいい日には外にも出してやり・・・とマメに世話をしてやったので、食べるのがためらわれますcoldsweats01

 お花や根ミツバに限らず、いろいろな命を頂いて生きている私たち。有り難く、使える限り何度でも大切に使わせてもらわないとなぁ~と、思いました。

 それにしても根ミツバの再生力にはビックリです。私も、体をザックリ切り落とすのは無理だから、お肌を何かを使ってでガァ~っと、オバサン肌をこすり落としたら、アラ不思議!な、な、なんと!ベビー・スキンが現れました!!・・・ってなことにならないかなぁ・・・bleah

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さっそくお声が・・・

 かかりました~happy01

 先日の記事に書いた、朗読をしている友人が来月早々に都内某高齢者施設に慰問に行くので、そこで2~3曲吹いてもらえないかというお誘いが来ました。

 すぐにでも「行きます!!」とお返事したい気持ちを抑えながら日時を見ると・・・がぁ~んshock、この日はなんと次女の中学の行事の日。お手伝いも頼まれています。残念ですが、学校の方が先に決まっていたので仕方ありません。友人には次の機会にまた声をかけてね、と返事をしました。 

 というわけで、いつ声がかかっても対応できるように、高齢者向けの傾向と対策を練っておくことにしました。やはり抒情歌というか、日本の曲がいいのかなぁ?と思いながら、レッスン後に先生に尋ねてみると、童謡など日本唱歌がいいのでは?ということでした。誰もが知っていて、口ずさむことの出来るような曲、明るく穏やかなメロディーが相応しい。「死」や「老い」などネガティブな要素を連想させるような曲はもちろんタブー。と、私の予想通りのお答えでしたが、このことをお話した時に、先生がとても嬉しそうなお顔をされたのが印象的でした。

 さて、今日は長女にちょっと遅い誕生日プレゼントとして、バス・トロンボーン用のミュートを買うために楽器店に行ってきました。中学時代には学校のミュートを使っていましたが、高校にはバス・トロそのものがなく、当然バス・トロ用ミュートもありません。これまではその都度中学にに借りに行っていたのですが、結構な頻度で使うため自前のものが欲しくなったとのこと。ちなみに娘は友人から「誕生日のプレゼントにミュートなんて、あんた馬鹿だ!」と言われたそうですsweat01。ティーンの女子だったら、この機会にバッグや服など、ファッション系のもので、自分ではちょっと買えなさそうな物を買ってもらえ、「ミュート」なんて地味なものはやめておけ、と言うことかもしれませんね。でもね、娘よ、母はアナタの自分の気持ちに素直なところが大好きだよ。

 思いっきり余談を挟んでしまいましたがcoldsweats01、楽器店に行ったついでにその手の楽譜も見てきました。はっきり言って、自分から進んで演奏してみたいと思ったことのない分野です。この中に好きな曲があるわけではありませんが、演奏してみたいと思える曲があったのでとりあえず2冊、買ってきました。

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 ピアノ伴奏譜付のものと伴奏カラオケCD付のものです。フルート1本で頑張れる自信はないのでcoldsweats01、「施設にピアノがあって伴奏者も見つけられた場合」と、「自分ひとりでやる場合」を想定してみました。どの曲もあまり難しくないので、日常の練習の負担になることもないでしょう。なので、この中から何曲か吹けるようにしておこうと思います。とりあえず、「川の流れのように」、「昴」、「里の秋」、「みかんの花咲く丘」あたりが候補です。

 で、本来の練習はと言うと・・・19課の3番、ハイドンの「ソナタ」が終わってホッととしたのも束の間。20課もなんか微妙だぁ~。開けた扉の向こうにもうひとつ扉が・・・と言う感じです。正直、20課のことを考えるとブルーになります。ほんの数小節だけど、途中の4分の2拍子の部分を"Presto"で吹けるようになる日など来るのでしょうか?一方、ヘンデルのソナタ(No.2 G moll)は、第3楽章をやりました。「白玉ばかり、とナメていると厄介ですよ。」と言われましたが、図星ですsweat02。第4楽章もとりあえず聴いていただきました。こちらは大丈夫だったみたい。どうにか第1~4楽章まで通して演奏できる可能性が高まってきました~happy01

 これからはいろいろな練習をしていくことになりますが、ちょっとだけ世界が広がったようで、ますます楽しくなってきましたnote

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朗読会

 昨日は視覚障害者の方々が朗読を行う、とあるグループの公演を聴きに行って来ました。実はこのグループには私の大学時代からの友人が所属しています。「コカリナ」という木の笛を披露するということで、案内をもらった時からとても楽しみにしていました。

 6時の開演に合わせ夕方頃に家を出た私は、帰りは冷えるかもと、薄手の長袖カットソー、ジーンズ、トレンチコート、ショートブーツという出で立ちで出掛けました。が、これで電車に乗ると、ちょっと汗ばみますsweat01。と、後悔していると、傍らにはペラペラッとした夏っぽい膝丈スカートに生足ミュールcoldsweats02の女性。この時期の服装選びにはホント、悩みますよねぇ~。

 話は逸れましたがcoldsweats01、私はこのグループも含め、「朗読会」なるものを聞きに行くのは初めてです。ましてや障害を持った方々の集まりとなると、どんな雰囲気なのだろう・・・と、思いましたが、実際に会場で聴いてみると「見えること」と「見えないこと」の違いを感じさせないものでした。むしろ、そういったこととは別次元の話のように思えました。

 このような性格のグループなので唯一、特徴的なことを挙げれば、舞台の様子を司会者の方が言葉で説明していたことです。舞台の大きさは間口何メートルで奥行き何メートル。高さは何センチで・・・とか、舞台上には椅子はいくつ置いてあります・・・などです。こうすることでどのような環境で、パフォーマンスが行われているか、どんな方にもイメージしやすくなりますよね。

 この日は5つのグループが、一人語り、朗読劇、コント、演奏を披露しました。会場が自宅から遠いため、友人の演目を聴いたら帰るつもりでしたが、どのグループからも「言葉」を聴かせることへの強い「こだわり」のようなものが感じ取られ、その世界に引き込まれ、ついつい全部聴いてきました。視覚に頼らないからこそ感じる、言葉の持つ様々な力を、これほど意識したことは今までありませんでした。優しい響き、強い響き、幸福感をもたらす響き、恐怖心を煽る響き・・・じっと聴き入っていると、ストレートに頭の中に飛び込んできます。台本(脚本)の文字が言葉になり、その言葉は語り手によっていろいろな響きを与えられ、電波のように空間を飛び交い、その電波を聴衆の脳が受信する。そして、脳内でイメージが作り上げられる。こんな一連の「作業」が聴き手には要求されますが、それのなんと楽しいこと。ひたすらいろいろなイメージを作りながらの楽しいひと時でした。

 私の友人も普段はこのような朗読を行うそうなのですが、この日はウクレレを演奏される方と一緒に「コカリナ」を披露しました。その名前だけは聞いたことのある「コカリナ」ですが、実物を見るのも、音を聴くのも初めてでした。彼女は黒檀製のコカリナで演奏しましたが、とても優しく穏やかな音色でした。同じく穏やかな音色のウクレレと、よく調和しています。曲の合間のトークもとてもこなれていて楽しかったです。「こういうのを持ってピクニックにでも行ったら楽しいだろうなぁ。」と、終演後に彼女に言うと、山で吹くと鳥が集まってくるんだとか。なんとも愉快な笛です。ますます惹かれました。

 友人は学生時代からかなり視力が弱かったものの、「健常者」として生活をしていました。卒業後はちょっと疎遠になっていたところ、風の便りで「白い杖をついている」と聞き、少なからずも驚いたものです。それが昨年、10年以上ぶりに偶然ばったり出会い(新宿コマに「ウィーン版・エリザベート」を観に行った時)、お互いの近況を話すうちに、彼女が朗読の活動をしていると知りました。

 冒頭に『「見えること」と「見えないこと」の違いを感じさせないと』書きましたが、やはり彼女のような人たちが日常生活を送る上では、私たちにはとても計り知れない苦労や困難があるように思います。でも、それを微塵も感じさせず、溌剌と前向きに、でも淡々と、そして何より、普通にしている彼女の姿に驚きました。障害を持っていても学生時代のままの彼女なのがとても嬉しかったのです。そんな彼女を支えているもののひとつに「朗読」の活動があるのかも?と思いました。

 その考えについて、昨日の舞台の様子を観て答えを見つけたように思えます。ステージ上の出演者の方々は皆さんがとても生き生きと輝く表情で、素晴らしいパフォーマンスを見せて、聴かせてくださいました。

 もともとお芝居など、「言葉」による表現が好きだった友人。その「言葉」からもたらされる感動を多くの人に伝えて回ることをライフワークにしているのでしょう。病院や高齢者施設へも慰問に行くのだそうです。

 そんな友人から嬉しいお誘いが。一緒にフルートを吹いてみない?と言ってくれました。もちろん二つ返事で「よろしく~!!」の私ですが、彼女たちの朗読のように、人々の心に心地よく響き、癒しや安らぎを感じてもらえる音色を届けらるよう、いっそう精進せねば!

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物思う秋

 「わけわかんなぁ~い」、「イヤだ」と言っていたアルテ20課3番、ハイドンのソナタ。練習を重ねるうちにどうにか出来るようになり、前半のみながら、先生と一緒に演奏してみたことで曲の全体像が少しずつ見えてきました。こうなると後半部分も次第に把握できるようになって来ました。そんなわけで、やっとこさ通しで吹けるようになり、練習に励む日々ですが・・・。

 今月は5週あるということで、レッスンは隔週にしてもらいました。練習する時間もあり、時間をかけたなりに吹けるようになってくると、今度は「これでいいのかな?」と悩み始めてしまいます。レッスンの間隔が短い時ならすぐに確認できますが、次のレッスンまで間があると、もしおかしな所があったら、次のレッスンで先生に指摘される前に、間違えたまま定着してしまいそう。

 いったん悩み始めると、全てが「これでいいのか?」の自問モードになってしまいます。譜読みで間違っているところはないか?音は?鳴ってはいるけれど、果たして「いい音」だろうか?先生に教わるうちに次第に自分の中に植えつけられてきた「基準」みたいなものがありますが、それもあやふやになってきています。

 自分の中に「いい演奏」の基準が築けず、どっぷりと先生頼りになってます。自分で自分の音の善し悪しの判断が付かない・・・というのはどうなんだろう?これはレッスンを始めてまだ2年8ヶ月だからか、それとも、もう2年8ヶ月なのに築けていないのか???

 今日ももちろん練習をしましたが、自分の良い所・悪い所が、シッカリ・ハッキリ分からず、手応えのない練習となってしまいました。こんな生煮え状態の今の自分。いわゆる「中だるみ」というものなのかな?

 でも、続けていればきっと何かが見えてくる!?いや、「何かを見つけるぞ!」という意気込みで続けなくちゃだめかな?ううう、眠れなくなりそう・・・

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